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 幼い頃から、自分にとって「家族」という存在は、不完全なものでした。

 同じ場所で時間を過ごしていても、気持ちが重なり合うわけではない。
 言葉にならない違和感や、うまく噛み合わない空気の中で、それでも日々は続いていく。
 このアルバムは、そんな自分たちのそばに居てくれた“家族”の記憶を辿るように作った作品です。

 収録されている楽曲には、これまで共に暮らしてきた二匹の犬への想いと感謝が込められています。
 単なる追悼というよりも、不器用な家族の間に静かに存在し続けてくれた、光のような存在の記録だと思います。

 家族とは言え、相手を理解することも、綺麗な形のまま時間を残すことも、きっとこれからも出来ない。
 それでも、失われたものや、欠けたまま残り続ける感情が、音となったものの様な気がしています

 作曲という行為は自分にとって、何かを乗り越えるためのものというより、受け入れきれなかった時間を、諦めを含めつつ認めながら、自分の人生の結果として、少しずつ並べ直す作業に近い気がしています。

『Lost Pieces』は、不完全なまま残り続ける“家族の形”そのものを現すものとなりました。

 菜の花畑の「黄色」をイメージして書いた曲。

 自分の中では、”イ長調”や“ラ”の音に、昔から黄色の印象があります。
 それが共感覚なのか、単なる記憶の結び付きなのかは分かりませんが、調性と色彩が結び付く感覚は、昔から存在していました。

 最初は、ただ漠然とした菜の花畑の風景でした。
 次第に、自分の中でその景色は、この世界のどこにも存在しない“家族の風景”のようなものへと変わっていった気がします。

 千葉の県花は菜の花です。
 私は物心ついてからは千葉県で育ってきました。
 自分にとっての穏やかな家族の風景は存在しないけれども、夢を見た形での菜の花畑を見たのかもしれません。

 幼少期を共に過ごした、最初の家族だった犬が亡くなった数日後に書いた曲です。

 ギターを弾き始めてから、完成まで辿り着けた二曲目の作品でもあります。

 同じメロディーが何度も繰り返されますが、その度に、結句や一音だけが少しずつ変化していきます。
 同じように見える毎日も、二度と同じ形で戻ってこない。
 そんな意味合いです。

 幼少期を共に過ごした家族。
 思春期の難しい時間も、ある意味対等に向き合ってくれる存在でした。
 そんな日々を見守りながら、一緒に生きてくれた家族への感謝を込めた作品です。

 二代目として家族に迎え入れた犬へ向けて書いた曲です。
 この曲を書いた当時、まだこの子は元気に生きていました。

 初代犬の面影をどこか重ねながら迎え入れた存在でしたが、実際にはまったく違う性格でした。
 驚くほど無垢で、純粋な心のまま生きている子でした。

 人間たちが、それぞれ次の人生へ進まなければならない時期だったはずなのに、この子が居た時間だけは、夢の続きだったのかも知れません

 この曲は、そんな幸福な時間の記録になったかも知れません。

 人生で初めてギターを手にしてから作った曲です。

 拙いメロディーで、今聴いても断片的な印象ですが、今回の録音では、当時書いた旋律を、あえてほとんど変えずにそのまま使用しました。

 書き上げてから四半世紀近い時間が過ぎ、ようやくピアノソロとして録音することが出来ました。

 当時の自分が見ていた景色がこの曲を作ったのでしょうが、今の自分がそれを再現してみた形です。
 未完成そのものを、一旦認める事にしてみようと思いました。

 本当にこの曲が、夏の終わりを現したのかは定かではありませんが、その頃の季節だったとは思います。

 二代目の愛犬が亡くなる数日前、偶然ピアノで弾いた曲です。

 いつか別れの日が来ることを、心のどこかではずっと考えていましたが、
 もっと一緒に過ごせたのではないか。
 もっと穏やかな時間を残せたのではないか。
 そんな曖昧な後悔や、不安のような感情を音にしたものだと思います。

 この曲では、犬の心音や、犬の身体を通して録音した振動のIRパルスをリバーブとして使用しています。
 かなり具体的な生々しさが欲しかったのです。